港町銚子の花鯛料理

       これは花鯛寿しを手掛かりに銚子駅前から
                「花鯛料理」専門店創出の試みである
                                    
本文へジャンプたつみのほうぼう料理
 島武のきんめ煮
 廣半の鯖寿し
 海辺里のさんま寿し
銚子うめぇもん研究会
 
花鯛料理の起点  千葉県観光おみやげ品開発事業への参加
  平成19年 1月 地場の産品を活かしたものを創りたいというお食事茶屋 膳 の夫妻と出会い千葉県おみやげ品開発事業への参加を促した。 早速この事業に則し開発商品の特定、開発テーマ、その背景、開発の独自性、千葉らしさを銚子港水揚げの「花鯛」をテーマに取り組んだ。
 極めて短時間であったが素材としての花鯛、酢飯の千葉県産、銚子産キャベツを寿しに挟む技の開発など、夫妻がこれまでの地元に執着してきた情熱が一気に商品の完成度を高めたといえる。右は県の事業に参加した商品発表会の写真である。
     膳の「花鯛寿し」の特徴−1
 魚という代名詞では先ず「鯛」が代表に属する。その旨さ、味、形など他を圧倒するものを保持している。私もこの地に居を構えるまでは鯛には承知していたが<花鯛>という魚を知らなかった。後で判ったことだが昔、結婚式などでお祝いの魚として出された冷めた焼き魚がこの<花鯛>だった。かって日本海側に旅行した際、酢にした小鯛の寿しを買い求め旨いのか不味いのか判断に躊躇した経験がこの<花鯛>であった。この極端のイメージを解放したのが膳の「花鯛寿し」である。
   膳の「花鯛寿し」の特徴ー2
 右の写真は千葉県おみやげ品開発事業の発表会へ参加した時に作った「花鯛寿し」だ。この際、私が提供したのは熟成タレ製法と塩タレと酢タレにおみやげ用品向けに調整した寿し酢だけである。
 出来栄えは私の予想を超え、皮目の美しさと花鯛の旨みを独自な品格<膳の花鯛寿し>へ昇華したものであった。
 寿しめしの間に差し込んだ銚子産キャベツは好みはあるにしてもその色彩と食感は評価したい。
   膳の「花鯛寿し」の特徴ー3
 小鯛を素材にした寿しは古くから北陸で特産品として販売され、塩と酢を用いた伝統的な製法で知られている。膳の「花鯛寿し」はこの製法に依存せず花鯛の旨みをどう寿しとして表現するか、ここに起点がある。
 また、伝統意的製法は時代の揺れに抗せず頑なに生き延びる道がある。膳の「花鯛寿し」はここから解放されている反面、時代と抗いながらひとつ、ひとつ進化の辿る道を選らぶしかない。
 実際、 伝統的な花鯛寿し(小鯛寿し)は現在、ある程度の工業化で地域的なおみやげ品市場で生き延びている。膳の「花鯛寿し」はこれとベクトルが異なり手作りへ、いわば<こだわり>で生き延びる方途になるだろう。

 
  膳の『花鯛寿し」の特徴ー4
献立を描き、素材を吟味、調理技術を介して仕立てる料理とおみやげ品とはどうも<系>が異なるように思える。
 食べる人の顔を具体的にイメージする料理に対し「おみやげ品」は購入する人と食べるひとが同一でない抽象的像を描くことを強いられるからだ。この抽象に対し抗うことが出来るのは徹底した<こだわり>といって良い。これが時間と供に進化し固有な顔を商品に表現されたときどこどこの「おみやげ品」になる。
 商品発表会での膳の『花鯛寿し」は未完成を内包しつつその端緒に着いたように思えた。
   花鯛-その1
 膳の「花鯛寿し」の特徴を地域のおみやげ品創りという立場から見てきたが1年ほど前からこのおみやげ品作りを地域における<専門店創出>の過度的段階と考え、膳の歩みを注目してきた。
 先ずは花鯛という魚を整理して置きたい。和名では「血鯛」、関東ではハナダイ・花鯛と呼ばれる。右の写真でも判るように小柄でエラのところが赤いのが特徴。銚子、飯岡では秋から冬の花鯛釣りで知られている。
 銚子港では「春子」と呼ばれる小型の花鯛が大量に水揚げされている。初めて人のはその量に圧倒され、誰が何処で何に加工されどう消費されるのか困惑されると思う。実際、大半は市場に回され市内で加工、商品化は微々たるものといわれる。
  花鯛ーその2
 江戸前寿しの世界では時期によって春子と呼ばれる花鯛が珍重される。しかし、花鯛を料理の素材として手掛けた人であれば、真鯛に比べ刺身、煮物、焼物いずれも格段に落ちることは判る。大きさも小さく特に身の軟らかさに手を焼き、献立は脇になるはずだ。
 氷や冷蔵庫の無い遥か時代の人々はこの厄介な魚にどう応対したのか、想いを廻らすときがある。おそらく、小さいとか、軟らかいとかに塩や酢など限られた調味料を使い分け保存性の料理系として編み出したようだ。典型的なものが[ささ漬」の例で見ることが出来る。 
  花鯛ーその3
 「ささ漬」とは小鯛を3枚におろし塩、酢に漬け笹の葉を添え杉の木の樽に詰めたもので、これを刺身で食べたり寿しネタにしたり酢の物にするなど冷蔵庫の普及が未完の時期までは極めて応用範囲の広い商品として機能したといえる。笹の葉を文字どうりの添え物に過ぎないが商品の代名詞にした感性は学びたい。
 この素材の代表的な例が米とのドッキングによる「小鯛寿し」だ。この「小鯛寿し」との食べ比べは膳さんに是非とも聞きたい。
  花鯛ーその4
 言葉で摘み出せば、例えば身の軟らかさに塩や酢で締める、昆布で締めるなどは昔でいえば当たり前の処方であった。しかし、労を厭わぬという作法が極めて困難な時代に直面している今日、天然・自然に対し率直な応待と高度化した調理技術を介し、手間隙を伴う料理系を組み立て直す時期と考えるがどうか。ここ数年、カタクチイワシを題材に料理系の再構築を試みているが今一歩のところに近づいている。 従って花鯛という素材を見直しそのマイナス面を徹底的に洗い出し論理化(料理化)が地域における専門店への突破口と位置づけたい。
  膳 花鯛料理専門店の構築ーその1
 地域における専門店の在り様について昨年から「たつみのほうぼう料理専門店の創出」で提案してきた。 先ずはそれらを整理し、将来の地域専門店の枠組みと専門店の中身を考えてみたい。
1、枠組みの問題⇒地域の疲弊と食の需要が確実に減少する時代に合わせ産地の利点を活かし広域的な集客の展開として首都圏を対象にした専門店の創出
2、専門店の中身⇒@高鮮度・大量仕入れよる原価の低価格化と手作りを原型とした加工・調理の高度化の実現 
            A商品の固有性を作り手の顔と重層化する(物語化)
 これは抽象的な理念であるが消費者側から見た場合、このような<像>に例えたい。
桜の時期は過ぎたが公園や並木に行くとき、見に行くという像を、一本の古木では<訊ねるという像>を内的に抱く、ここでいう専門店とは<一本の古木を目指し訊ねるという<像>として見立てたい。
 膳 花鯛料理専門店の構築ーその2
 寄り道をして見たい。その−1
 何かを志し実現する道のりは森の再生に類似している。森の再生は50年から100年の時間を要する。この点、5年から10年という事業の幅とは次元を異にするが、ものを作り、販売を重ね、時代に応じた商品作りは同じだ。林業も荒れた森に手を入れ、苗を植え、間伐するという人間の手作業の上に成り立つ生業だ。
 戦後、杉、檜が全国の山村に人工林を形成したが生業としての「山林業」は衰退の一途を辿っている。森の再生が個々人の意欲だけでは困難なように今、地域の商工零細事業者が日を追って已む無く事業から手を引く姿を重なっている。
 再生などと簡単に言葉を弄したくないが、常に時代の転換期に人々は自分の生涯を重ねて再生を希望として乗り切ってきた。専門店の発祥は良く判らないが、徳川の幕藩の中で各藩は産品を奨励し経済の自立を図ったことに由来すると思える。ここにしか無い産品がおみやげ品に、そして専門店に昇華したといえる。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその3
 寄り道 そのー2
 勝手な解釈をすると飲食業に限定すれば<うなぎ>とか<ふぐ>とか<そば>とか<寿し>、、、、、などお腹を満たすというより心も満たすという生業を専ら「専門店」と呼びたい。その原点は江戸時代に各地に芽生えた地域的な個性ある素材にこだわる生業を商いにしたものだ。おみやげ品もこの延長線に出来あがったのものといえる。
 専門店の構築で目指すときその原型をここら辺に求められる。しかし、着地点のイメージはこの延長線上に描くことは出来ない。<心を満たす>という条件が<食>以外に充満した今日、地域の新しい専門店のイメージは従来の形態を変容する以外にその活路が見出せないと思う。たまねぎを剥くように見えない着地点を目指すのが実践的な出立点である。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその4
 寄り道 その−3
 寄り道には二通りの理由がある。着地点がよく見え時間つぶしの歩行と、未明の着地点に向かって悪戦苦闘せざるを得ない寄り道だ。私たちが「専門店」というとき後者の道のりに近い。立ちはだかるものを論理化することが唯一の活路になる。
 これまで「労を厭わず」とか「たまねぎを剥くような着地点を目指す」などを語ってきた。よくよく考えてみると「手間暇惜しまず、結果を期待せず」という精進の在り方に行き着く。深く分け入った訳ではないが日本料理の原型は精進料理といわれる。特に限られた条件の中で修行僧は徹底的に素材の求め方と料理にまで昇華する実践を日常としたようだ。豆とかコンニャクのように美味とかけ離れたものを料理に仕立て上げたのだ。確かに肉と魚以外の料理系は精進の実践に由来するといってよい。 
膳 花鯛料理専門店の構築ーその5
 寄り道ーその4
 私がこの道に入り込んだのは20数年前、技術を肉体化するには限界の年齢であった。調理には年齢は随行しないが、料理を表現の世界と見れば30年代までが飛躍の時期である。
 雑誌等で有名と称される料理人を拝見すると、ある時期に繊細さと大胆さを獲得し何らかの条件でマスコミ等に露出したようだ。精進の修行僧にとって調理と料理の世界とは日常の実践以外の何ものでも無かった。有名人の世界より魅かれるのはその愚直な日常の姿だ。晩年の水上 勉の日常は遥か遠い姿に映る。 
膳 花鯛料理専門店の構築ーその6
 寄り道ーその5
 わき道に入ってきている。この迂回は何か壁に打ちあったときの対処を探っていた。典座修行はそのヒントになると思ったからに違いない。従来と異質な専門店を目指すとき、考え方も従来と異なる開明的であることが必須だからだ。
  もとの寄り道にもどる。地域の末端零細事業者にとって真面目とか正直に働くという世界は遥か彼方にいってしまった。目前の仕事も後継者も量りが成立しなくなった。経済的な言葉では儲かる儲からないというより事業が成立しなくなったのだ。 
膳 花鯛料理専門店の構築ーその7
寄り道ーその6 
 迷ったら寄り道へという通路を残して本題に進みたい。
地域の末端では老兵がいつ暖簾を下げるか軒を連ねるように話題にもならない光景が過ぎ去って行く。末端から時代を切り返す方法があるのか、専門店の構築という立場から自問自答によってその方途を探って行きたい。
 現実を冷静に見つめて見たい。経営コンサルタントのような数字の問題でもなければ宗教者のいう倫理の世界でもない。生業と生き様が両立する日常をもう一度、再構築する夢を描くことだ。そのためには1人でも多くの人とハッピーになる夢を語ることから始まる。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその8
 寄り道ーその7
 ハッピーを日本語でうまく言い表せないが皆で喜びを分かち合う意味に用いたい。お客が少ない、儲からないから利益の出る商いという目先の在り様ではもはやエネルギーを持続できない。確実に利益がでる仕組みを考え、多少の不況でも平気で乗り切る自前の型を目指すことだ。
 ここに到達するまで挫折や、リタイヤー、場合によったら倒産したりのリスクが伴う。この緊張が目指すべき型を固有な姿にするような気がする。個々の事業者だけでは立ち行かないものでも共同の力で何ものかに変異できることがある。ハッピーとはリスクを変異にするエネルギーと読み替えたい。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその9
 寄り道ーその8
 もう一度、専門店を目指すに当たりうめぇもん研究会が独自な集団として存在する理由を探している。いわばどう構築しようとしているのか。ついつい仕事の多忙に引きずられ共同性の志向を疎かにしがちだ。 ひと呼吸し、疲弊する地域の末端を冷静に見つめてみる。
 行政の力に頼らず「ハッピーとリスク」を現代版の共同性としてどう実現するか、生業と生き様を集団の在り様として実現できるのかが問われている。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその10
 本題に向けてー1 専門料理の品格
 専門店を目指すに当たって戦略とか戦術という考えはなるべく避けて行きたい。それよりも先ずは考え方とかイメージを描くことから始める。先に「たつみのほうぼう料理専門店の創出」考で述べたと思うが「食べて後にじわーと感じる旨さ」という表現を使ったことがある。これに専門店の構築ー1で述べた「さくらの古木を訪ねる」という表現を重ねてみる。丼ものとかラーメンなどは脳幹に伝わる直裁的な旨さをいう。これに対し、食べた後に味が追いかけてくる旨さ、空腹を満たすというより心を満たす味の気品、これを目指す専門店の品格と位置づけてみる。これを料理系の中核としてどう表現するか問いかけたい。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその11
 本題に向けてー2  献立
 専門店の中身についてしばらく考えてみたい。
料理の入り口を献立に見立ててみる。 日本料理なら季節の素材に的確な調理方法で示し脚本を描く、献立は普通こう見られている。作る側では料理の考え方と意図を明確に表現し、先ずは紙上で評価を求める。食べる側では献立という脚本に沿って頭の中でストーリーを描き心を構える。
 在り来たりの献立ならすぐ脇に置くが、料理人の率直な考えや何か物語りを秘めた構成であるなら手元に料理が来るまで物語に浸ることができる。献立についてこだわってみたい。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその12
 本題に向けてー3  献立の様式
 ここで献立の様式を取り上げるのは本格的な日本料理を創ろう、こうした店に足を運び料理を嗜む、という立場からとは異なる。ごく有り触れた地域で主として料理を生業とする店が将来に向けて全身を振り絞って展開する際、産み出す様式といいたい。これは専門店を目指す時の在り様と重なるからだ。
 判り易いところから始める。献立の順序は概ね料理を出す順番に対応している。喰い切り形式が標準になっている今日、時代が要請する食べ方に沿って筋が取った順序を整えればよいと思う。
 次に献立の表記方法に移る。一般的に用いているのは先ず調理方法から始まり、器の名称、出す順序を主に様々なものを絡めている、時代によって変わるのが現状といえる。
 ひとつの料理系が産み出す際、これに相応しい表現方法が伴いたいというのが専門店の構築を目指す立場である。献立の様式上では独特な調理方法と花鯛特有の何ものかを表現に高めたい。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその13 
 本題に向けてー4
 現場におりて見る。膳が現在、提供している花鯛料理の写真だ。素人が並べ撮影したのを取り込んでいるので見えにくい。献立様式に分解する詳細については後に譲る。
 中央に位置するのが「花鯛のこぶ締め」である。事務局の清水さんがこれは旨かった、といっていた。花鯛を酢締めとして料理に表現するのは大方だ。これを選ばず花鯛の身の柔らかさをこぶで締め、旨みを増す方法を採用した。花鯛のイメージを独自な美味に高める技とみる。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその14
 本題に向けてー5 献立の様式
 献立の様式を改変するに辺り幾つかの事象を整理して行きたい。
 右は3枚に下ろした後の頭や骨から大鍋で出しを抽出している写真である。通常、和風では煮詰めることが少なく素材の旨みを抽出し、出しとして脇役に徹している。
 この花鯛の出しを半分位に煮詰めると洋風に例えればスープに近い味になる。和風の料理系とは異なる濃縮による重層的な味の表現を産み出す。推測だが創作料理で酒席を前提とする和風料理を改変する際、こうした事例は無意識のうちに献立に並べていると思う。
膳 花鯛料理専門店の構築ーその15
 本題に向けてー6 献立の様式
 花鯛を30〜50キロぐらいを一度に下処理するのが専門店の工房になる。こうした量から産み出される料理が専門店の独自な献立の様式のひとつと考えられる。
 膳の長谷川さんからFAXが届いた。要約すると「膳の花鯛専門店への基本的な考え方として骨、頭、うろこなど花鯛の全てを使い切る料理を目指したい、例えばうろこをパン粉のように用いたい」などであった。